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「障害」と「個性」はどう違うのか!? それは「社会」の「在りかた」が決めるのだと思う

どーも!貴継(たかつぐ)です!

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先月の話になるが、

Twitter双極性障害を持つブロガーであるほっしー(星野良輔)さん

twitter.com

と、ちょっとだけども、こんなやり取りをした

一部を切り抜くとこんな感じだ

 

ほっしーさんは

「双極性男子のあたまのなか」

hr-diary.com

というブログを運営しているブロガーさんで

双極性障害という障害を持っていて、

その双極性障害についての記事を発信している

双極性障害とはなにか!?紹介する!

紹介しているサイトは以下

厚生労働省のサイトより


 NAVERまとめ

双極性障害(そうきょくせいしょうがい、: Bipolar disorder)は、躁(そう)状態(躁病エピソード)と(うつ)状態(大うつ病エピソード)の病相(エピソード)を繰り返す精神疾患であるICD-10では、うつ病とともに「気分障害」のカテゴリに含まれている

(下線はWikipediaより抜粋)

 

これらの説明だけではよくわからないという人が多いことだろう

 カンタンに言えば、

生活している時に

「メッチャ気分の暗いとき」

「メッチャ気分の明るいとき」

交互にくる障害

だ!!!

メッチャ気分の明るいときを躁(そう)状態と呼び

 メッチャ気分の暗いときを鬱(うつ)状態と呼ぶ

 

このことから躁鬱病とも呼ばれたりするよね

このような障害が存在することを知っている人は

じつに少ない!

 

理解している人が少ないからこそ、

障害を抱えた当事者は孤独なまま苦しむことになる...

特徴的な性質を持っている人がはじかれてしまう社会だ

 「障害」と「個性 」を分けるものは社会の「大らかさ」の有無だ

双極性も生きやすければ「個性」、生きづらければ「障害、病気」になる
前者と後者、どちらである社会が望ましいのか

(上のTwitterの俺っちのツイートの一文より)

 

俺っちも多動で一つの物事に異様に集中する過集中の持ち主なので、

効率よく、人の言われた通りの行動を求められる現代社会になじめなかったから

よくわかるが、

何かしらの個性が目立つと、途端に生きづらくなってしまうのが

現代社会、今の世の中だ!

「みんなと同じじゃなきゃいけない」同調圧力がものすごく強くなる

だから人と違うことを恐れる

社会に都合の悪い「個性」は敵となってしまう

 

そして敵となってしまった個性は「障害」として扱われることになる

「誰かに迷惑をかけたから」

「社会の不利益になるから」

と...

人間である以上、誰でも迷惑をかけてしまうものですから、

迷惑をかけてしまう時にその人に「障害」のレッテルを貼付ける「社会」にこそ

障害があるのだと思っていますぜ
(上のTwitterの俺っちのツイートの一文)

 

これが俺っちの主張だ!

社会に「大らかさ」がないのが原因だ!

「大らかさ」

言い換えれば「余裕」とか「ゆとり」とか「遊び」とか

コレが社会に存在して、人との「違い」楽しむことができれば、

「個性」は

「価値のあるもの」

「ありがたいもの」

と、なり、よいものとして認識されるのだろう!

 

人と違う個性があるから、その人は

自分にはないものを持っている貴重な存在だと認められるだろう!

最後に、

利益をもたらす時にだけ「健常」の資格を与える社会なんて馬鹿げてますぜ

(上のTwitterの俺っちのツイートの一文)

 

人間は不完全なもの!

個性的であることによって、時には誰かに迷惑をかけることもある

だけど、

個性的であるからこそ、人と違う価値を生み出すことだってできるだろう!?

たとえば

アインシュタインエジソン

「みんなと同じ」行動を求めたら

あんな発見、発明はできなかったぞ!

違いを認める環境があったからこそできた偉業があるんだ!

長い目で見ようや!!!

 

あんまり都合のいい所ばかりとってんじゃねぇぞ!

もし今の社会で

「個性」をよいものとして認められずに「障害」として扱うというのなら、

個性のある人は、

どこかに新しいコミュニティをつくるしかないのだと思う

 

以上、今日はここまで!

 

いっしょに遊ぼうぜ!

 

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